その後、様々な歴史を経て、私たちのアメリカンショートヘアーがアメリカンショートヘアーとして、アメリカ合衆国を代表する品種となったのは、1964年のNikki Horner(後の Mrs.Shuttleworth)以降でしょう。
今では故人となりましたが、Nikki HornerのASHにおける華々しい活躍はシルバータビーのCorner Romeoの子猫を入手しShawnee Starterと名付けたことから始まりました。このオス猫はシルバータビーのオスとして初のグランドチャンピオンに輝きました。
そして彼女はこの猫に合う血統のシルバータビーを国中を捜して回りました。
また彼女は後にブラックに興味を求め、彼女のシルバータビーの中から生まれたブラックソリッドをブリードに用いました。
Miss.Hornerの奮闘はこの1世紀の中で Miss.Cathcart 以来の独身ブリーダーの活躍でした。
彼女が輝くばかりのシルバータビーのオスの子猫、Shawnee Sixth Son(1964年キャッツマガジン・ベストキツン・オブ・ザ・イヤー)をキャンペーンしたとき、彼女は当時の猫愛好家達を動揺させました。
「ドメスティックですって?あなた方は真面目になれないの?」というのが当時の彼女の口癖となりました。
なおSixth Sonの父親はMr.G.H.F.Muggins(GC.Ramayana Jenna of Gray Horse Farm の孫)、母親はShawnee Jentle Touch(GC.Shawnee StartlerとGC.Lavender Silver Patternの孫)でした。
また同1964年、アメリカンショートヘアープレミアがCFAにおいて初めてグランドプレミアとなりました。
このMuriel's Heidiという名のブルーアイホワイトはニューヨーク州ロングアイランド、ウィリストンパーク在住のMrs.Slodden(Mayflower Cattery)によってブリード、所有されました。
翌1965年、Tr.GC.Shawnee Trademarkがキャットショー界の頂点を極めました。
つまりキャット・オブ・ザ・イヤー(CFA及びキャッツマガジン双方において)を授賞したのです。
この偉業を成し得たシルバータビーをブリード、所有したのもまたDr.&Mrs.William Shuttleworth であり、GC.Ramayana Jenna of Gray Horse Farmのラインブリード猫でした。
Trademark は数々の大きなショーにおいて多くの栄冠(少なくとも10回のベストキャット)を獲得し、彼の父親であるGC.Shawnee Marksman と共に活躍しました。(彼女いわくMarksman の方がタイプ、パターンともに優れていたが、Trademarkの方がコントラストが強く、人を引きつける魅力があった)
Trademarkは1967年までの間、アメリカンショートヘアーの象徴として我国で輝き続けました。
しかし、1968年に彼を譲り受けたブリーダーのところで、すぐに循環器疾患によって亡くなってしまいました。