最初、ASHは正確な品種としては認知されていませんでした。
最初、現在のASHに似た「ヨーロピアン」が認知され、ヨーロッパの野生猫と初期のエジプシャンが起源であると考えられていました。それゆえ、オリジナルカラーはマッカレルとクラシックパターンのブラウンタビーであったろうと想像されています。
その後、イングランドに定着する前に、多くのカラ−バリエ−ションが突然変異や自然淘汰によって生じて行きました。
ロ−マ人によって10世紀初頭になり、「ヨ−ロピアン」はブリティッシュ島に渡りました。そして、そこでは「穀物の番人」としてもてはやされました。
当時、サウスウオ−ルスの王子であったHywelDdaは、西暦948年にこのネズミハンタ−達を保護するいくつかの条例を制定しました。
さらにイングランドにおいてショ−トヘア−キャットが飼育され、よりカラ−やタイプが選択されて行き、より丸みを帯びた顔立ち、よりかわいい印象を与える大きな猫に人気が集まり始めました。
さらに年月が過ぎ、大きく張った胸、良く発達した足、他に類を見ないラウンドしたヘッドが理想形として求められるようになりました。
ところが11世紀になると、猫は魔女の手先として信じられ、人々から忌み嫌われました。多くの猫達が焼かれ、わずかな猫達が貧しい老女達のもとで生きながら得ました。そして15世紀になるまでの間、人々は猫達に再び関心を持ちませんでした。
アメリカにおいて、最初に「家畜」として登場したのは、初期のヨーロッパの探検家や開拓者達に連れられて来られた猫達でした。
幾匹かのショートヘアー達がメイフラワー号によってアメリカにもたらされたという事実を証明する証拠がいまも残っています。
CFAオールブリード・ジャッジであり、ASHのブリーダーでもあるMrs.KayMcQuillen は彼女の著書の中で、彼女の祖母の祖母にあたるMrs.Heaneyの家伝書の一文を紹介しています。
「3色(キャリコ)のショートヘアーのメスと共にメイフラワー号でアメリカに渡ってきました。そして、その猫は、プリマウス埠頭に到着後、しばらくして子猫を生みました。」
初期のアメリカンキャット達は、その美しさよりも無骨さとハインティング本能が優先され、選ばれました。
農夫や鉱夫達がハンティング本能や人懐っこい性格に加えて、輝くカラー、大胆な模様、そして健康的な骨格に主眼をおいて子猫を選択するようになり、アメリカンキャットは非常に豊かなものとなりました。
また、自然環境が不健康さや頭の悪さをドロップアウトする手助けとなりました。
広い遺伝的基礎は、異なる国々での起源の同じ猫種によって供給されました。
それゆえ、後のこれらのラインにおけるインブリードは、遺伝的問題を起こしませんでした。
血統書は19世紀初頭に他の品種が輸入されてくるまで必要としませんでした。
というのも、この品種が非人為的にピュアなものだったのです。
初めてこの品種がアメリカにおいて公認されたとき、すでに数種類の承認されたショートヘアー品種が存在していたのですが、当時はすべて「ショートヘアー」として同一とみなされました。